2009年11月28日

クリスマスの想い出2

キリストの御誕生を告げ知らせに、冷たい夜道を走りぬけて来た彼らをむかえた牧師。そしてその賛美を牧師の前で唱ってくれる信徒。自分に代わって伝道して来た信徒を優しく迎えた牧師が、信徒から伝道の報告を聞いているといった様子でした。
「よくやった、御苦労さん」と言う牧師の目には涙が光っていたこともありました。信徒がどんな小さな奉仕をしても、それは自分の神に対する働きを助けてくれたと解釈するからです。
「先生、寒かったあ」と口々に彼等。
「御苦労さん、御苦労さん」をくり返す牧師。甘える信徒とねぎらう牧師。その中にこそイエス・キリストが居られるのを感じました。
暖かいおぜんざい、或る時はおうどん等を彼らに提供しながら、私は自分がその中に入るのを控える程、密な親子関係を感じていました。
キャロリングだけではなく、信徒の恵まれて喜ぶ姿を見ることは牧師の喜びでもあります。そして喜んでいる夫の姿を、ほんとうに満足しきっている夫の姿を見るのが、私の最高の喜びでした。その喜ぶ姿を見たい故に、私は一生懸命になっていたのかも知れません。

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2009年11月07日

クリスマスの想いで1

開拓教会も大分成長してくると、聖歌隊なども出来、かなり充実した時期がありました。あらゆる場で賛美をしたものです。特にクリスマス時期になると大活躍となるわけです。
万代恒雄牧師は賛美がとても好きでした。神をほめたたえることは、牧師の力そのもののように感じました。
「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。」
「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなで、主をほめ歌え」などと、詩篇のおことばをよく口ずさむのです。
教会もおのずと賛美の多い教会になってゆきました。賛美歌を静かに歌うという固定観念を早くに破って、元気の良いメロディーとリズムをつけて神を賛美する教会へと、変わってゆきました。特に詩篇などのみことばに曲をつけたものが大のお気に入りでした。それは、神を賛美出来ると共に、神のおことばを口ずさむことが出来るからです。
さて、クリスマスにお話をもどします。
クリスマス・イヴの晩には必ず聖歌隊がキャロリングに出かけました。夜になって、二十名前後の方々が寒い街に出かけるのです。あらかじめ予定されたいくつかの場所で歌い、最後に牧師の家に来て歌って下さるのは真夜中の一時位だったでしょうか。

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2009年10月07日

命をかけて2

一九七〇年の永井明師による万博記念クルセードに御用させていただいた後、十年ほど教会を育てつつ、海外伝道は他の働きを支える使命として続けながら、次の伝道に備えの時となったのです。 
使徒行伝によると、パウロは第二回目の伝道旅行で、ユダヤ人達のはげしい反抗に合いました。
「パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、『あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く』と言った。」(18:5〜6)
時が来て立ち上がった万代恒雄牧師の伝道路線は全く変えられていました。パウロが異邦人に向いたように、キリスト教界が見えなくなり、九十九パーセントのノンクリスチャンの方に目を開いたのです。すっかり路線が変わってしまいました。教会や牧師達が用意してくれて、そこで伝道をするというのではなく、自ら社会に飛び込むことを決意したのです。続きを読む
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2009年09月01日

命をかけて1

色々の伝道を試みました。思いつくことを、飾らず格好をつけず、現時点で出来る方法で伝道をしてきました。日本の中央から遠く離れた四国の片田舎で開拓伝道している元気の良い牧師は、たちまちのうちに教会が出来たのです。
万代恒雄牧師は、どちらかと言うと伝道者タイプだったと思っています。勿論自分もそのように自覚をしていました。しかし日本では伝道者としてだけでは用いていただけないようです。集会の講師として呼んでいただけるのにも、どうやら教会を大きくしないといけません。大教会を持っているということで誰もが認めざるを得ないということでしょう。外国のように、伝道者タイプの人には、伝道で用いてあげたい先生方もおられると思います。しかし、苦手な牧会で成功しないといけないとあって四苦八苦で、無駄な伝道生涯になっている場合もある筈です。
万代恒雄牧師は牧師としてもがんばりました。牧会というものは伝道とまた違って非常にむずかしいものです。会社や学校のような集団ではありません。老若男女は勿論、生活、知的面、あらゆる面でそれぞれ異なった人々の集いをまとめてゆかなければなりません。神様が中心とはいえ、人間の集いでもあることは間違いのないことです。牧会は神の介入なくして出来ません。続きを読む
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2009年07月30日

信仰の充電2

松山市の表通りに、二つ三つの驚くべき奇蹟の末、新会堂建設がはじまって間もなくでした。となりのビルも暴力団のものだったのです。工事のため地盤の調査のためボーリングの時、どこの工事なのかさぐりを入れて来たのです。色々のことがあり、結果、そのビルを買収するしかないことになりました。それ神様の奇蹟以外に考えられないことでした。

 仲介をして下さるとても良い方がおられました。これも神様がこの事のために遣わされたようなものでした。ちょうど一億円を余分に作らなければならなくなりました。銀行に話したのですが、すでに新会堂建築のだめに話し合った後の新しい一億円なので、当時銀行が簡単に首を振りませんでした。つまり予期しない新しい買い物だからです。

毎月放送電波料などの支払いなどもあり、私自身がその銀行の窓口となっていました。その日銀行の方が事務所に来られ、集会や振り込みの御用をすませた時でした。東京の主人の友人からお電話がかかりました。彼は会社の社長さんで、クリスチャンになったばかりで、とても喜んでおられました。彼はそのビルが 一億円は安いので買うようにと勧めてくれたのです。そしてその電話は、お金のやりくりがつくまで使って下さい。○○銀行の口座はありますかと言われ、取引は無いが小さな額が入ったままになっている口座番号を伝えました。そこに一億円を振り込んでおくとのことなのです。

その様子を聞いていた銀行員は驚いていました。次の日、お金を借りて下さい、と銀行の方から言って来たのです。一ヵ月も経たないうちに、私達は、銀行が出して下さったお金を、社長さんにそっくりお返しすることが出来たのです。そのビルは、銀行への少しのローンは残っているものの、今は、アンデレ宣教神学院、宿泊所、図書室、その他のために用いられているのです。
神様は奇蹟の連続で教会を成長させて下さいました。続きを読む
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2009年06月27日

信仰の充電1

九月は台風シーズンです。それについてどうしても忘れられない万代の想い出があります。台風は誰も好きな人は居ないでしょう。しかし、台風が近づく時の海の荒波を見るのが大好きな人が居りました。それが万代恒雄牧師です。私の実家のある高知市は、南は太平洋に面しています。台風の最中には真夜中になると、高知市街にある家からでも、ゴー、という海鳴りの音が無気味に聞こえるのです。実際の台風がまだ土佐沖何百キロの所にあると言っても、その海はもうすでに荒れ狂っているのです。その様な時点で桂浜に行って、海岸線に沿う車道に車を止め、海を間近に見ることが大好きな万代恒雄でした。台風が近づいている、万代恒雄にたまたま時間のやりくりが出来る、などの条件が合わなければその場に行けません。ですからそう何度も行ったわけではありませんが、何回かわざわざ見に行ったことがあるのです。それはもう驚く程の感激の仕方でした。瀬戸内海の海が少々荒れても、そのような波は見ることは出来ません。波は何メートルもの高い壁のようになって押し寄せて来るのです。そして引いては返し、返しては引き、また押し寄せるのです。尽きないそのエネルギーの大きさにただしばし茫然と眺めるだけで、言葉を失っていました。エネルギーをあやつる創造者である我等の神の偉大きに驚き、信仰が躍動するように燃えあがるのでした。 「すごい、すごい。神様ってすごい」を連発します。不思議に何時間でも眺めていたい気持ちでした。続きを読む
タグ:信仰 牧師
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2009年06月12日

気球は家族です2

彼女の主人、フェルナンデス氏は私達を客人として厚くもてなして下さり、私達は個室をそれぞれ貸していただき、朝夕の食事もいただき、家の鍵まで渡され、黒人のボーイが洗濯から靴みがきまでしてくれるという具合で、実に二週間に亘ってこのところを基地として伝道に励んだのです。神のみちびきの偉大さに驚くのみです
そして、神は現在アフリカで大きく用いられようとしていたマナセという青年伝道者を送って下さり、一緒に協力して大集会におよんだのです。
大きな集会は二回あったのですが、初めは六千人で、次回は実に七万人の会衆でした。そのすさまじさは、ペンなどでとても表現出来るものではありません。大集会を驚くのではなく、神の臨在の濃厚なキリストの聖名による集会のために驚くのです。
説教中に、母親にギブスをはずしてもらって自分で歩き出す子供、盲人が突然いやされて、手をふり踊りながら飛び出す婦人、聖霊に感じてぶっ倒れてしまう人々。それらは、そのまま使徒行伝の再現でした。
私も永井師も、とめどなく流れてくる感激の涙を抑えることが出来ませんでした。(中略)
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2009年05月07日

地球は家族です1

暑い夏がくると想い出すことの一つは海外宣教です。教会の信徒には、お祈りとささげものを求め、信徒たちも自らが海外宣教に出かけたつもりで応じてくださったものです。
最初のアフリカのケニヤ伝道は一九七四年八月、永井明牧師と出かけました。副牧師も伝道師も持たない牧会生活ですから、一カ月を留守にすること事態にはかなりの信仰を要しました。
牧師が、世界伝道を願い、教会を留守にするとき、羊である信徒がまもられるように信じて委ねることは、信仰による冒険だったのです。
出かける者もそうでしょうが、留守番をする信徒や私達も本当に大変なことだったのです。緊急事態発生で真夜中に何度も起き出して信徒の家に車を走らせたことも、今は本当になつかしい想い出です。当時教会堂は二十四時間鍵をかけていませんでしたので、夜中にはにぶい地鳴りのように信徒の祈りの声が静かに響いていました。
定例集会のメッセージなどは、夜の集会は信徒達でまもりましたが、礼拝は、やはり親しい先生方に犠牲を要求したものでした。
世界伝道といえば、生涯をほとんど世界伝道にかけた平松実馬先生がおられます。平松先生からケニヤの牧師のお名前をいただいておりました。先生はやがて召天されたのですが、私達はその牧師が何か気になる存在となり、万代牧師のケニヤ伝道のきっかけとなったのです。
次に当時のケニヤ伝道報告の中から記してみます。続きを読む
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2009年04月21日

最後の一息まで2

牧師がお寺にお部屋を借りるのもおかしいのですが、それ以外に宿泊場がなかったからです。しかしそのお寺のお坊さんと大変親しくなり、宗教談義をしたりも致しました。

彼は二世お坊さんで、なりたくてなったのではありません。すっかり万代恒雄に傾倒してしまって、松山に出て来る時には、何度も教会を尋ねて下さいました。万代牧師が、宣教師を助けて、船で瀬戸内海の島々に伝道に出かける時、一度同行して、キリスト教の伝道集会のチラシと卜ラクトを配ってくれたと聞いています。このお坊さんは、二世でお寺を継ぐ必要がなかったら、絶対クリスチャンになっていた人なのです。
神に仕える姿勢と伝道のために、あまりに熱心な牧師の姿に彼は胸を打たれ、背後にある生ける神を感じたに違いありません。

やがて年月を経て、お坊さんも地位的に偉くなったと思います。松山市郊外の小高い山に、大きな霊園を造成されたのです。今ではかなり大規模で立派な墓地になっていますが、まだ初期の計画段階で、万代に声をかけてくれたのです。

「先生も、教会が充実したら教会の墓地がほしいと言われていたので、先生のために一番良い所を取っておこうと思うのですが…」と声をかけてくれたのです。
一つ返事で、いや万代恒雄牧師にとっては、まるで神様の導きのようなタイミングと受けとめて購入の約束をしました。松山市街が見おろせる、本当に素晴らしい場所を教会用に、実費のような安価で分譲してくれました。教会は早速墓地委員会を作り、松山福音センターの霊園を造りました。すでに多くの信徒は、赤い字で自分の名前を刻んでいるのです。残念なことは、私の横に刻まれている万代恒雄の名前が赤から黒字に塗り変えられたことです。
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タグ:伝道 使命感
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2009年04月13日

最後の一息まで1

多くの牧師やクリスチャン達は、伝道に少しでも成果をあげる方法は無いだろうかと、少し成長している教会を尋ねたり、論じ合ったりしているように思われます。まるで金鉱探しのように、現代の教会は成功への道を血まなこで探しているのです。成功への道や方法を探さなくても、自分の足元に、第一歩が開かれているのです。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119・105)伝道しようという思いを強くもって神に助けを求めて祈れば、その道は照らし出されているのです。
神様に用いられるためには、特別な優等生である必要もありません。ただ自分の個性を生かして、失われゆく魂に重荷を持って、神のみことばに導かれることだと信じます。

日本がキリストの福音のために開放されて百五十年すぎているのに、人口の僅か一パーセントが信者ということはあってはならぬ事です。どうして日本だけが異教徒のままなのかと考え、祈り続けています。
しかし、そこで祈り続けているだけでは駄目で、出来ることから福音の種を蒔かなければなりません。私達もおよばずながら、日々その一事に励んでいるつもりです。

万代牧師の伝道生活の中から、今日も何かを見つけて記してみることにします。万代恒雄が「落穂」の古い時代に次のように記しています。
「牧師は忙しくなるほど時間の余裕がなくて、断食祈祷が出来にくくなるという矛盾を征服する必要があります。忙しくなればなるほど、それを必要としているからです。(中略)それはあくまで、信仰における自己訓練であり、神との対決なのです。続きを読む
タグ:断食 祈り 伝道
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2009年04月03日

高ぶらないでいよう2

いよいよ「日本の伝道は日本人の手で」を目指して働きはじめました。色々あったものの、友人知人にこの伝道への参加を求めて祈りはじめました。宣教師を中心に集う時、万代恒雄は、いつも日本人の手で自由にもっと伝道がしたい、しかもお金のことを考えず、福音だけが語りたい、などと言っていました。
私は、父の牧していた高知の教会を手伝いながら、文書伝道を進めつつ、放送伝道にむけて準備をはじめたのです。働きまくって六年目。
一九六八年九月十六日、大阪朝日放送から「まことの救い」が電波に乗ったときは、それからはじまる経済面の重圧を忘れて感動を一人でかみしめました。毎年局が増して数年後全国十五局から流れるようになっていたのです。
自由と豊満な時代と違って、四十年前のことであると考えるとき、これにはかなりの信仰とそれに応える御業以外に考えられません。そして一時期のことではなく、今日まで継続していることは、更に神が背後に居られるの証ではないでしょうか。
私の献身、それは「彼の裏方以外したくない」でした。表舞台とは違って、時には「孤独という暗闇」に残されることはあったとしても、裏方をねぎらう彼の言葉で満たされて、彼の祈りで神は霊的にも豊かに祝して下さいました。
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タグ:謙遜 裏方
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2009年03月28日

高ぶらないでいよう1

私達の放送伝道「まことの救い」は、続いていることにおいては何にも負けないものとなりました。
かつて私が学ばしていただいた宣教師が、アメリカのお金で伝道をしている様子を見たり手伝ったりしている時に、私達日本人の手でこれをしたいと思ったことがきっかけだったのです。

今でこそIT時代で、何でも出来そうに思えるのですが、ラジオ放送であっても、自分達で時間を買って番組をもつなど夢のようなことでした。アメリカの支援で、宣教師がしているそうした伝道を、うらやましいと思いつつ、そのフォローの働きのために奉仕したものでした。

宣教師が、「今月は少しお金が足りない」、「送金をいつまでも当てには出来ない」、「もっと日本での伝道の良いレポートを送らないといけない」など聞きながら、私達は、日本の伝道は自分達でしたいとの願いがいよいよ強くなってゆきました。

そんな時期、私は一つの願いがおこりました。アメリカの事務所が見たい!と。一九六〇年といえば、渡米をするには、アメリカで全保証をしてくれる人が居なければ出国の許可かおりない時期でした。宣教師に頼みました。彼等の日本事務所に献金をし、アメリカでその分を私がドルで受け取れるような形で、ギャランティーをしてもらいました。そして、その他滞在中の生活費などのために、彼等の事務所で一生懸命働きました。続きを読む
タグ:伝道 高ぶり
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2009年03月04日

献身記念日2

万代牧師が、何があろうと、或いは協力者の有無に関係なく、神との親交を深め、神のみこころである伝道に励んで参りました。その姿勢に対して、家族は勿論のこと、教会の信徒達は無条件に万代恒雄牧師を支えるため必死に協力を惜しまないのでした。
苦労の結果であったとしても、万代牧師は、ある時を境にどんどん祝されていきました。その祝福は働きだけにとどまらず、私生活にまで及びました。
マザーテレサは言いました。
「物事の結果には神の意志が現れている」と。神の許しなくして、この祝福があったとは思いません。結果は神の御意志で、万代恒雄牧師が用いられ、祝されたことは神の御意志に他なりません。
祝された人を祝福することは、自分が祝されてゆくための条件でもありますが、祝された人を妬む人の方が多い気が致します。ヨブ記は語ります。「みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行われる。」(ヨブ23・13)
「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。」(ヨブ42・12)
伝道にも、教会にも、キリストの十字架の救いを語るのですが、いつ心に触れ、キリストの恵みを味わってもらえるか、ということです。料理人が人々を「おいしい」と言わせるために、終日料理のことを考えていると聞きます。万代恒雄牧師もちょうどそのように、みことばをどのように彼らに提供すべきか、頭の中から離れることはなかったはずです。

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2009年02月21日

献身記念日1

二月三日、世で言う節分という日。でも私達にとってはそんなものではありません。万代恒雄牧師の献身を決意した記念の日です。今から四十七年前、一九五二年二月三日、すべてはこの日にはじまりました。
両親の反対を押し切って家を出たその日の様子は、あまりにも有名なドラマとして多くの方々の知るところです。ある意味で、万代牧師の人生のはじまりの日とでも言えるのです。このドラマが無かったら、今日の教会もなければ、そこに救われている信徒も無かったでしょう。そして連なる働きのすべても、決して今日のようなものではありません。
人生で自分の仕事を変更する人はたくさんあります。仕事変えをすることについては、失敗を含めて、人間関係が上手くゆかない、自分に合わない、様々な理由はあるでしょう。
万代恒雄牧師の場合、献身以来、ただの一度も、自分の道を考え直すこともなければ、進路で悩むこともありませんでした。人生を神にささげた以上は、自分の人生であっても自分のものではなく、自分の献身を神からの召命に変えて下さった神のものであると信じていたからです。
様々な辛いことも起こりましたし、牧師を続けられないと思うような試練にも遭いました。しかし、別の人生を考えることは決してありませんでした。大きな試練を乗り越えた後では、恐れるものはありませんでした。


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2009年01月29日

早天祈祷2

このような姿勢で伝道していたのですから、信仰通り神様は教会を祝して下さいました。全く一人も信者も何のつてもない松山に開拓伝道に乗り込んでたちまち牧師を助ける信徒が生まれ育ってきたのです。
副牧師も伝道師も持たないで教会が成り立つためには、信徒の責任あるすさまじい奉仕が育っていたからです。牧師はいつも言っていました。
「教会は三種類の信徒が居たら成長する」と。祈る信徒、伝道する信徒、ささげる信徒ということです。ささげるということは献金ということだけではなく、あらゆる奉仕に携わって時間をささげることも出来るわけです、と具体的に説明をしましたので、誰もつまずく人もいません。
そのような教会の主幹となるスピリットは今でも存続しているのですから嬉しい限りです。
先生との生活で一番なつかしいのは何ですか、と最近聞かれました。すべてがなつかしいのですが、共に祈り合ったことは忘れられません。特に、早朝共に早天祈祷会に出た時期のなつかしさは一入です。
その頃旧会堂では、座布団を車座に敷いて祈っていました。疲れの完全にとれない体を無理に起こして二人で車に乗り込み毎朝教会に通ったものです。
冬の冷え切った会堂に、三十名以上の祈りの勇士が毎朝熱祷をささげていました。夏場になると四十名程に増えたものです。
今の栄嗣牧師がまだ中・高生だった頃は一緒について来た時期もありました。早天祈祷が終わると急いで帰り、子供達に朝食とお弁当を作り学校に送り出し、続いて主人を教会に送り出しました。私自身も、後片付け後、少し遅れて、宣教会事務所の働きにつくのです。


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タグ:牧師 祈り
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2009年01月13日

早天祈祷1

万代恒雄牧師が逝って五月九日でまるまる七年の月日が過ぎました。五月になり早々に遠くからお花がとどくなどで、覚えていただいていることに感謝を禁じ得ません。
この月はどうしても別れの日を想ってしまいます。家に、教会に、事務所に掛けられている写真を見つめてしまいます。私だけではなく、信徒たちもそのように声をかけて来るのです。
写真の中からじっと見つめている目、そして微笑み。長い時間を経ても、やっぱり私だけを見つめ続けているのです。あんなに気配りをし、色々の方々のことを想い、教会ではプライベートの感じをほとんど示さなかった彼が、写真になった今、私だけを見つめているのです。嬉しくもあり、あまりにも悲しくもあるのです。
一歩家から外に出ると、彼は私の彼ではありませんでした。当然私もその自覚をもっていました。外に出ると彼は伝道者。教会ではあくまでも牧師だったのです。
神様の祝福を受けて教会が祝されて大きくなってゆくと、やはりけじめをつけないと、家庭の延長の上に教会があるようでは牧師の自覚が不足しているのではないかと私も思うのです。牧師が、自分の子供をだっこして、「いい子、いい子」と言っている所に信徒が、「先生、御相談があるのですが」と言ってゆけない気がするのです。
今回も、万代恒雄の書き物を引用してみます。


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2008年11月21日

仕える僕A

前日或いは当日の朝、天候を気にしたりして、人の集まりのことを気にする言葉が出るときは、もう完全に牧師として万全の準備が整い、確信を持って講壇に立つ用意が出来ていると感じました。そうなったら、あとは一人でも多く、神のメッセージをいただくために、恵みの座に着くことを望むのです。
やはり人集めも色々と工夫をしました。勿論、信徒を通して新しい方々を集めるのですが、牧師も教会側として知恵を使ったものです。そのあたりのことにつき、本人の書き物を引用してみましょう。
教会で語るために人集めの工夫と題して、次のように記しています。
「説教で牧会をするためには、教会に人を集めなければなりません。そのためには礼拝をとりあげてみても、単に礼拝がありますので集まって下さい、と言うのでは単調になってしまいます。
そこで私の場合は、礼拝に特色をもたせてみました。第一週の礼拝は神癒礼拝として、病人のために重荷をもって祈ることを特色としています。第二週の礼拝は交わりの礼拝と名づけて、礼拝後に簡単な食事があり、自由な形式でお食事しながら、お交わりをするわけです。
第三週の礼拝は伝道礼拝として、新しい人々を加えての公開礼拝のようにして、とくにやさしく語ってみることに心掛けています。第四週は、とくに名づけてはいませんが、必要に応じて、宣教礼拝なり、献身礼拝として用いるのです。

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タグ:伝道 祈り 説教
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2008年11月11日

仕える僕@

牧師は説教をしていたら良いと思っている人も居るかも知れませんが、説教は仕事の中のほんの一部にしかすぎません。でもその説教は牧師の人生がかかっているとも言えるのです。
万代牧師にとって、講壇は生命そのものでした。講壇は自分が学んだことではなく、神からのメッセージでした。メッセージとは「伝言」ということであって、神の伝言を人々に伝えるということであったのです。メッセンジャーは伝言を託して下さった方の意向と権威を、出来る限り正確に伝えなければならないと考えているのです。
「牧会コンサルタント」の牧師論の中で彼は次のように記しています。
「説教は巧みな演説ではなく、美しい物語でもなく、それは権威ある神の言葉の宣言なのである。福音の語られるところには、神は伴う徴しをもって御言葉の確かなことをお示し下さるのである。
説教は語調が勇ましいことを言うのではなく、権威は、ある意味では見ることが出来るものなのである。説教が人を変えることが出来ないならば、馬の耳に念仏と同様であり、その目的を達することが出来ないのである。人に聞かせる説教ではなく、人に決断を迫るものでなくてはならないのである。」
聖書にもあります。
「人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。」(ルカ4・32)人々は、神の言葉を伝える者として、当然の姿勢だと思われるかも知れませんが、責任ある使命だと忠実に考えていました。
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2008年11月06日

召命感A

問題が起こり、四方八方が塞がっても、天に向かって助けを求められる、上は塞がっていないのです、と言いながらがんばり、神との関係が深くなってゆくのです。自分を召して下さった神は契約の神であると信じ、神の下さる祝福を信じました。
「伝道をしよう」と、信徒によびかけている牧師は、信徒が伝道しやすくなるチャンスをあれこれ考え出し、実行致しました。
月一回のランチョン伝道。お食事をしながら、牧師の話を聞く。日頃祈りに覚えている友人知人、或いは
家族を誘うのに良いチャンスとなりました。
公会礼拝。これは毎月第三聖日を教会堂を飛び出し、公共のホールを借りての伝道礼拝を長年続けました。教会に行くことに抵抗を感じている方々も、場所を変えると出席してみようと思う方々もありました。伝道メッセージで、全く教会での礼拝をそのまま執り行うのです。
週一回の聖書研究には三十〜四十名の方々が当時の教会堂の二階座敷をいっぱいにしました。人間不信のノイローゼ状態の牧師をも用い、すべてのこと相働いて益となる、が成就しました。
聖書はあくまでも神の言葉であり、記されている様々な奇蹟も、初代教会だけのものであるなどと夢にも考えないように、信じるからには徹底して信じることをすすめました。
このようにして、万代神学による聖書の基本的な知識も、この時期に信徒に植えつけられました。
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タグ:伝道 牧師
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2008年10月22日

召命感@

万代恒雄の伝道人生は祝福され、それは人々からねたみを買うほどだったのすが、それまでへの道は険しいものだったと思うのです。
松山に於いて三十八年の伝道牧会の生活に携わりました。だいたいこれを四分することが出来ると思っているのです。
最初の十五年は、開拓伝道ですから、とにかく一生懸命で、キリストを伝えて、伝道を助けてくれる教会を生み出すことに必死でした。伝道して加えられる信徒が多くなると、彼らのかかえている悩みや問題の相談も多くなるわけで時間はいくらあっても足りない状態です。特に心の問題に関わるのですから、自分で切りをつけなければ、仕事の方からは去ってくれません。
社会で一日八時間働いているのが最低線当然の労働時問です。牧師も八時間働いて普通の牧師。普通以上に用いられ祝されたければ、それ以上働くのが当たり前、という理論をもって働きました。
教会が成長すると、全国各地の教会から、伝道集会の講師としての招聘で、日曜以外はほとんど松山に居られなくなったのです。それでも、神の言葉が語れる喜びは、本人をとどめることを知りませんでした。
神が用いる一方、問題も起こり、一九七〇年、大阪万博記念の、二週間における大伝道集会を、永井明牧師の主催で御用させていただくことを最後に、しばらく各地の教会での御用を辞退したのでした。

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タグ:牧師 召命感
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